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大英寺

大英寺の歴史

 皓月山大英寺は、松代藩初代の藩主真田信之が、その奥方であった小松姫(大連院殿)の菩提を弔うために建立した寺である。
 小松姫は徳川家の重臣本多忠勝の娘であり、しかも徳川家康の養女となって嫁いだので、信之を助け大変立派な奥方だといわれたが、元和6年に小松姫が亡くなると信之は大変に落胆して嘆きもひとしおであった。
 小松姫の戒名は大連院殿英誉皓月大禅定尼で、大英寺の名前もこれによる。
 小松姫の亡くなったのは、信之びまだ上田城主の頃だったので、上田の常福寺(今の芳泉寺)に葬られて、お墓やお霊屋が建てられたが、元和8年、信之は松城(松代)へ転封になったので、松城に大連院殿の寺を移し、これが今の大英寺である。
上田に造ったお霊屋と鐘楼を運んで建てなおした。(このお霊屋が現在の本堂で県宝に指定されている。) その頃の大英寺にはお霊屋や鐘楼のほかに、諸堂が建立され大変立派だったと伝えられている。
 完成した大英寺は、常福寺の誉霊大和尚にって開山された。
 慶安2年には幕府より百石の御朱印を頂戴し、宝永7年に本堂と庫裏、衆寮などを建立した。享保十九年火災を起こして焼失し、寛保元年再建に着手し、同2年完成した。また天明5年お霊屋の大修理等、全て松代藩真田家によって行われた。
 明治維新のあとは、真田家の援助も碩地もすペて無くなってしまったので、大きな寺の維持は困難になり、いくつかの堂を取り壊し、真田家にお願いして、お霊屋を本堂にし、残りの材で庫裏も造った。
 大英寺は、江戸時代初期からの歴史が境内の所々にみられる、浄土宗の由緒ある寺である。

平成11年10月吉祥日 皓月山大英寺 第廿一世 皓譽法弘誌