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山本勘助(道鬼)墓

山本勘助は、三河国(愛知県)の出身、26歳より諸国を巡り修行し、天文・兵法・槍術・築城術等武芸百般を体得、44歳にして武田信玄の軍師となり数々の策略を立て、上杉謙信の攻撃に備えて築いた海津城(松代城)の構築も手がけた。
1561年(永禄4年)9月10日の激戦において、信玄に勧めた「きつつきの戦法」を謙信に見破られ、武田軍は一時苦戦に陥り、勘助は責任を感じ奮戦の後討死にした。
勘助の墓は初め、この南、陣ヶ瀬の東、勘助塚にあったが、千曲川の流れにより荒廃していく姿を憂い、1739年(元文4年)松代藩家老鎌原重栄・原正盛が、信玄ゆかりの信州柴阿弥陀堂境内に遺骨とともに移し、墓碑を建立した。1809年(文化6年)には孫の鎌原重賢が、末永く墓を守るために更に石積みし、今の姿となっている。

「川中島の戦い」ゆかりの地整備保存会
信州柴阿弥陀堂
長野市観光課