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旧前島家住宅

 前島家は、同家所蔵の系図によると、初代民部佐衛門一宗以来、上田・松代で代々真田家に仕えており、禄高は江戸中期に300石、幕末には200石であった。
 この屋敷地は、真田家の松代入封の際に拝領したと伝えられており、正徳年間以後の城下町絵図でも、前島家(前嶋家)の名前を確認することができる。現在の敷地は、幕末の屋敷地(763坪)の約半分ではあるが、敷地内に主屋、土蔵、三社、庭園が現存している。
 主屋は、梁間4間半(8.18m)、桁行10間(18.18m)、銅板葺(元茅葺)寄棟造で、南側と北側に半間の縁側の下屋庇がつき、南西には玄関がつきでている。系図に宝暦9年(1759)の建築と記されており、現存する松代地区の武家屋敷の中では、最も古い年代に属する。安政6年(1859)には、主屋北側に2階建ての座敷(隠居所)が増築されたが、昭和40年代の松代地震の後に、主屋西側の土間部分とともに撤去されている。屋敷の東南隅にある三社は、約1.6m開方、切妻造、銅板葺、平入で、内部に神棚を設ける。主屋東部に位置する土蔵は、2間半(4.55m)四方、二階建、屋根は桟瓦葺、切妻造、平入の置屋根である。
 現存する建物は、幕末期および昭和の修理によって改変を受けているが、主屋前面の池や、土蔵と三社を配した屋敷地は、江戸時代の武家屋敷景観を良好に保持しており、貴重である。

平成22年8月1日 長野市教育委員会

長野県宝
旧前島家住宅主屋
附表門・土蔵・三社(棟札付)・庭園を含む宅地
平成18年4月20日指定