旧松代藩鐘楼(しょうろう)は真田信之が松代に入封(にゅうほう)直後に建てられたとされ、当初は火の見櫓(やぐら)の役割を兼ねていた。
昼夜の区別なく一刻(いっとき)(二時間)ごとに時刻を知らせたほか、城下で出火があった際にも鐘を撞いて非常を知らせていた。
その後三度の火災に見舞われ、現在の鐘楼は享和元年(1801)の再建にあたり、鐘楼と火の見櫓を別棟にして造営された。
また鐘は太平洋戦争で供出され、現在のものは平成三年に旧鐘の寸法や重さを模して取り付けられたものである。
この鐘楼で、江戸の末期に、佐久間象山が電信実験をしたという言い伝えが残されている。
構造は石積みの基壇(きだん)の上に立つ井楼(せいろう)式高櫓(たかやぐら)形鐘楼で、高さは約12メートル、屋根は切妻(きりづま)の瓦葺きである。
屋根まで伸びる四隅の柱を保護するため、支え柱を立て、下見板張りとしている。
内部は三層になっており、土間を除いて床は板張りとし、各階をはしごでつないでいる。
平成22年度から、保存修理工事を実施し、あわせて周辺を広場として平成26年3月まで整備した。
長野市指定有形文化財(建造物)
旧松代藩鐘楼
昭和42年12月20日指定
平成26年3月31日
長野県教育委員会