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旧樋口家住宅

●樋口家の歴史
 旧樋口家は江戸時代、松代藩10万石を治めた真田家の家臣として、藩の目付役などを務め、江戸時代末期は禄高が、230石でした。
 樋口家歴代の墓所は長国寺にあり、その歴史は、樋口家文言『樋口家譜略伝』(明治14年)によると、甲斐武田家の家臣であったと伝えられ、家紋は三つ鱗紋を用いていました。
 樋口家が当初に住んでいた場所は不明ですが、樋口家文書から、江戸時代中期の明和2年(1765)、6代樋口角兵衛邦蕃の時に、現在地である殿町へ移り、近年まで続いていたことがわかります。
 殿町は松代城のすぐ東南に位置し、城の正面口にあたる大御門(大手門)にも近く、上級武士が多く住む武家屋敷町でした。
中でも樋口家は、真田邸(新御殿)に隣接し、上級の武家屋敷町の中心的な位置にありました。

●旧樋口家住宅の施設概要
 江戸時代の樋口家住宅は、他の藩士たちの住宅と同様、一種の公舎でした。
 敷地のほぼ中央には泉水路が東西に流れ、敷地の南側は、現在は雑木林と竹林、庭園ですが、樋口家の時代は畑として使用されていました。一方、北側には主屋を中心とした建物があり、
現在は主屋、土蔵、長屋、屋敷神の祠、表門、土塀、板塀がありますが、表門については、移築されてきたものといわれています。
 このうち、主屋、土蔵、長屋の3棟が、長野市の文化財(建造物)に指定されており、中でも、主屋と土蔵は建築年代がわかります。

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