長野市指定文化財
昭和49年7月20日指定
この表門は、もと表柴町に建っていましたが、平成12年に現在地に移築復元しました。
建築年代は、松代藩文書などから弘化3年(1846)であることがわかりました。
白井家は、松代藩の中級武士であり、真田家家中明細書によると、白井発平が高百石、元方御金奉行、御宮奉行などを勤めました。
子の平左衛門も文武学校権教授に出仕し、また、佐久間象山との親交も密にしています。
表門は、三間一戸門形式の長屋門で、門部は太い槻(つき)の角材でつくってあります。間口が20m余の長大な門で、背面に3つの居室部を付設し、白井家の陪臣(陪臣)武士などが居住したとみられ、門に住宅が続いているのも珍しい例といえます。浅瓦葺(さんがわらぶき)の大型な長屋門は、松代藩では、天保期から多くなりますが、それ以前には茅葺の門が一般的であったようです。
旧白井家表門は、長大な間口に対して、屋根を低くおさえ、正面は間口の左右に出窓と与力(よりき)窓のみの単純・構造で意匠性が秀抜です。
松代藩中級武士の代表的な表門として、旧松代城下の面影を今に伝える貴重なものです。
平成12年7月10日
長野市教育委員会