茶室 煙雨亭(えんうてい)
佐久間象山は、松代における9年の勢居の後、元治元年(1864)3月幕府の招きに応じて京都に上り、しばらくして三条木屋町の鴨川べりの一戸構えに移った。その家は平屋で広く、茶室までも備わり、鴨川を隔てて東山・八坂の塔なども見える、眺めの良い家であった。象山は雨に煙る情緒豊かな風情を愛で、煙雨楼と名づけた。同年7月11日、攘夷論者のため非業の最期を迎える迄の僅か2ヶ月の住居であった。
この茶室は、その煙雨楼内の茶室で、昭和40年頃解体の折、京都象山会の高岡謙次氏がその資材を譲り受け保管されていた。
昭和56年にこの資材をご寄贈いただき、象山の往時を偲び後世に伝えるため煙雨亭と名づけ、象山ゆかりの地に同年移築したものである。
平成23年3月20日
長野市教育委員会