真田分流
真田勘解由家
この家は約百六十年前、花の丸の長局をこの処に移築したもので、その前は殿町にありその時は萱葺であった
当家は初代藩主真田信之の子二代信政と京の小野お通の子(二代お通)圓子との間に生れた信就(のぶなり)を始祖とする通称勘解由信就は長子であったが大名家に入るを好まず末弟幸道が三代を嗣いだ
幸道に子がなく信就の六男信弘が四代を嗣ぎ六代まで続いたが七代は井伊家より迎えた
当家も四代は称津家から迎える等あり、両家とも現在に到っている
八橋流再興の祖真田志んはその生誕終焉の処として九代道泰が建碑している
平成13年 (秋)記
真田勘解由家主屋と鎮守社
当家主屋は江戸末期に藩主の館、花丸御殿の一部を移築したと伝えられているもので、木造平屋建(一部、中二階)、桟瓦葺で藩重役の住居としての趣を有する。弓術家でもあったが、女子は八橋流筝曲を伝承してきた。
鎮守社は、薬医門を潜り右手北東隅に位置する。覆屋敷には六連銭の真田家家紋と雁金、州浜の裏紋の瓦がのり、側面を白漆喰の塗り込め、腰を海鼠壁としている。主に八幡宮がまつられている。
松代登録文化財の会